Riot Games「APACコミュニティEsports責任者」泉航平氏【トップインタビュー】
普段は表に出てこない「eスポーツを盛り上げる裏方さん」にインタビューする本連載。
今回は、Riot Gamesの泉航平氏を取材しました。
『VALORANT』eスポーツプロデューサーとして、国内の『VALORANT』の大会・イベントを成功させてきた泉さんは、2026年からAPAC全体のeスポーツのコミュニティを管轄する立場となり、Riot Games シンガポールへ活躍の場を移すことに。
しばらく日本を離れてしまう前に「どうやったら泉さんのようなキャリアを歩めるのか?」を詳しく伺いました。
よろしくお願いします!
小学4年生の頃に、両親の転勤でカナダに移住しました。カナダは異文化国家でして、クラスの3分の1が中国人、カナダ人の中でもイタリア系だったり、アイルランド系など、様々でした。
そんな環境で「自分の主張をぶつけて、お互いに理解を深めよう」みたいなカルチャーで育ったので、いい意味での「我の強さ」が得られました。
それが今の生活でも活かされているのかなと思います。
学生時代はずっとユーフォニアムをやっていました。
吹奏楽の楽器なのですが、トロンボーンと同じく中低音の楽器で、低音のベースラインを出すこともあれば、メロディーも担当するミッドフィルダー的な役割の楽器です。
当時、全く英語が喋れない状態でカナダに移住したので、英語に変わるコミュニケーションとして、音楽に惹かれたのかなと。
そうですね。僕には1つ上の兄がいるのですが、どっちも英語が喋れなかったので、僕が授業中に、英語がわからなくて泣き出したら、兄が連れて来させられていました。
結果、どっちも英語が喋れないので、やがては2人で泣き出すという、わけのわからない状況でしたね(笑)。
今回は、Riot Gamesの泉航平氏を取材しました。
『VALORANT』eスポーツプロデューサーとして、国内の『VALORANT』の大会・イベントを成功させてきた泉さんは、2026年からAPAC全体のeスポーツのコミュニティを管轄する立場となり、Riot Games シンガポールへ活躍の場を移すことに。
しばらく日本を離れてしまう前に「どうやったら泉さんのようなキャリアを歩めるのか?」を詳しく伺いました。
カナダの学生生活で得た「我の強さ」
──本日はよろしくお願いいたします。今回は泉さんのようなeスポーツプロデューサーを目指している方々にむけて「どうやったら泉さんのようなキャリアを歩めるのか?」を伺いたく。まずはRiot Gamesに入社する前から聞いていきたいのですが、どんな学生だったのでしょうか。
よろしくお願いします!
小学4年生の頃に、両親の転勤でカナダに移住しました。カナダは異文化国家でして、クラスの3分の1が中国人、カナダ人の中でもイタリア系だったり、アイルランド系など、様々でした。
そんな環境で「自分の主張をぶつけて、お互いに理解を深めよう」みたいなカルチャーで育ったので、いい意味での「我の強さ」が得られました。
それが今の生活でも活かされているのかなと思います。
──どんな学生だったのでしょうか。
学生時代はずっとユーフォニアムをやっていました。
吹奏楽の楽器なのですが、トロンボーンと同じく中低音の楽器で、低音のベースラインを出すこともあれば、メロディーも担当するミッドフィルダー的な役割の楽器です。
当時、全く英語が喋れない状態でカナダに移住したので、英語に変わるコミュニケーションとして、音楽に惹かれたのかなと。
──英語が喋れない状況での、小学校生活は苦労があったのではないでしょうか。
そうですね。僕には1つ上の兄がいるのですが、どっちも英語が喋れなかったので、僕が授業中に、英語がわからなくて泣き出したら、兄が連れて来させられていました。
結果、どっちも英語が喋れないので、やがては2人で泣き出すという、わけのわからない状況でしたね(笑)。
楽器演奏者を目指していた学生時代
──ところで、なぜ、ユーフォニアムだったのでしょうか。
カナダでは、音楽の授業で吹奏楽をやるんです。
そのまま音楽の道を志すようになりました。高校は音楽の専門学校に行って、大学でも音楽を専攻したいと考えるようになりました。
わりと得意だったので「得意だから好きになって」「好きになったら上達して」、いつのまにかプロを目指すようになっていました。
──そこまで好きだった吹奏楽のプロを諦めたきっかけは何だったのでしょうか。
大学で「自分よりも圧倒的に上手い人」に出会ったからですね。
日本の音楽大学には、演奏や作曲に特化した学科があり、僕は演奏学科という、ステージパフォーマーになるための学科を選びました。
その学科では「ステージに立った時にどういう呼吸で緊張を柔らげるのか」だったり「見栄えが良くなるための姿勢」だったり、ベストパフォーマンスを発揮するための、姿勢と呼吸法が学べる。ようはプロのパフォーマーを育てるための学科なのですが、大学3年生の就職活動のタイミングで、隣にいた1つ上の先輩が「自分よりも遥かに上手い」ということに気づきまして(笑)。
実際、プロのユーフォニアム奏者として食べていけるのは、世界で数えられるほどの狭き門なので、「隣の人が自分より上手いのに、これはもう無理では?」と自信がなくなってしまいました。
──本気でプロを目指していたのかと思いますので、それはなんというか…心が折れますね…。
そうですね。そのタイミングで自分のことを見つめなおして「音楽の知識以外で自分に残っているのは、多言語話者であることだけ」だと考えて、「カナダではなく日本で就職するほうが、英語が喋れることの価値が高そう」という判断をしました。
そこで戦場を日本に移すことにして、大学卒業後は日本のゲーム会社に就職しました。
音楽&語学エリートがなぜゲーム開発会社に
──そこでゲーム会社を選ぶのが、驚きといいますか…ご自身に音楽経験があって、英語力があるとなると、もっとたくさんの仕事の選択肢があったと思うのですが、なぜゲーム会社を選択されたのでしょうか。
「クリエイティブな仕事をしたい」という気持ちが、漠然とあったのだと思います。
音楽の活動って、クリエイティブなことが多いんです。たしかに楽譜はあるのですが、そこから「どういう音楽に仕上げていくか」が重要で、メンバーの感性や完成系を共有しながら、チームでモノづくりをしていくんです。
思い返してみると、エンターテイメントの業界に興味があったのだと思います。「ゲームってクリエイティブだよね」という感じで、自然と惹かれていきました。
──「クリエイティブな仕事」として、ゲーム業界が想起されるということは、ご自身もなかなかのゲーマーだったのでしょうか。
ゲームは人並みにやっていたと思いますが、ずっとゲーマーだったかというとそうではありません。
やはり楽器に打ち込む時期があり、離れたタイミングもありました。
ただ、日本にいたころは勿論のこと、カナダに移住してからも身の回りにゲームはあったので、ゲームは生活の一部ではありましたね。
──どんなゲームをされていましたか。対戦ゲームでしたか?
1番最初に遊んだのは、ポケモンの赤です。あとはスマブラなど。
カナダ移住後は『StarCraft』『Warcraft』などです。カナダで遊ばれているゲームはPCゲームが多かったので。
──ということは、その時期ぐらいから、現在でeスポーツといわれるような、対戦ゲームが身近にあったということなのでしょうか。
それが直接的に、今のeスポーツの職業選択に繋がったかというと、そうではないかもしれません。
ただ、おっしゃるとおり、(日本と比べると)eスポーツ的なPCゲームと親しみのある文化圏にいたのは確かなので、それは1つ繋がってる部分ではあるかなと思います。
eスポーツプロデューサーは僕のキャリアの集大成
──大学卒業後、最初のゲーム会社ではどのような仕事をされていたのでしょうか。
モバイルゲーム開発をやっていました。
ゲームプランナーとして入社したので、ゲーム中のイベント運用、ガチャの設計など、あとは敵キャラのパラメーターの設計などの、レベルデザインを担当しました。
最初のモバイルゲーム開発で楽しいと感じたのは「スピード感」でした。
自分たちの考えた企画が、リリース後にユーザーからのフィードバックを受けて、それに対してすぐに修正を加えていく。当時は3日ぐらいで、修正パッチをリリースしていたので、PDCAの回り方がとても早かったんです。
ただ、やがては、モバイルゲームではなく、コンソール向けやAAAタイトルの開発を担当するようになり、開発サイクルも3年~4年に長期化して、修正パッチも「3か月後に出す」という遅めの対応になりました。
開発費も大きいので、会社としても固く攻めざるを得なくなり、かつての「挑戦的な企画」というよりも「堅実に求められる企画」が優先されるようになりました。
僕自身「バッターボックスに立てる回数が、どんどん減っている」のを感じたので、 ゲーム&エンタメという軸はぶらさずに、周辺ビジネスにも目を向けはじめたのがその時期です。
──その後、他1社を経験されて、Riot Gamesへ入社。現在のeスポーツの仕事はスピード感もあって、ご自身に合ってるということでしょうか。
そうですね。
あとから振り返ってみてみると、僕のこれまでの経験(点)のすべてが1つに繋がったのが、eスポーツだったなと。
eスポーツはグローバル前提のコンテンツなので、すべてが世界大会に繋がっています。
その点において、北米での経験が活きていると感じます。また語学力は勿論ですが、ステージパフォーマーとしてのマインドセットを持っているので「選手はどんな環境ならパフォーマンスを出し切れるか」という、選手の気持ちに寄り添った考え方もできます。
ゲーム会社での経験についても、ゲームの裏側に関する知識はもちろんのこと、ゲームの運営において「ファンからの、要望に応えていく」というスタンスが、とても活きています。
例えば、生放送中にコメントが来た時、瞬時に「こういうコメントが来たから、このタイミングで、○○の情報出してみようか」であったり、リアルタイムでやり取りできる瞬発力があります。
今まで経験してきたものが、eスポーツプロデューサーという仕事に繋がり、僕のキャリアの集大成になっていると考えています。
──自身の中では、意思決定をしてキャリアを積み上げてきた感覚ですか。それとも目の前のことに取り組んでいく中で、辿りついたという感覚でしょうか。
人生設計がうまい方ではないので、何か意図があったわけではなく、ひたすらガムシャラに続けてきたように思います。
「今はeスポーツをやろう」とか「プロデューサーやろう」みたいなのを判断していったように思えます。
目の前のことだけ追ってたら、気がついたらそれが繋がっていたという感じですね。
Riot Gamesの選考面接は「8回」もあった
──「本日はありがとうございました!」と〆てもいいぐらい、キレイに纏めていただいたのですが、すみません、どうしても気になったことがあり(笑)。泉さんが「目の前のことをガムシャラ」にやりつつも「このままでいいのか」と客観視できたのはどうしてなのかなと。ゲーム会社の体制が変わることはよくある話で、そこで仕事内容に不満がありつつも「それでもゲーム開発が好きだから」と惰性で続けるクリエイターがほとんどだと思うんです。そこで泉さんが、eスポーツへの転職を決めたのは、もっと大きなきっかけがあるような気がしたのですが。
実は「あるゲーム」の大会に出たのをきっかけに、ずっと心の中に「いつかeスポーツを仕事にしたい」という気持ちがありました。
『伝説対決(アリーナ・オブ・ヴァラー)』の大会です。
前職でアプリゲームの開発をしていた頃に、当時のプロデューサーから「人数合わせで大会に出てよ」といわれて、池袋のスタジオで大会に出ました。
参加者30名ぐらいの大会だったのですが、会場内にはトップランカーの集団が集まっていて、僕らだけが初心者という異様な状況でした。とはいえ1勝でもするために、みんなで練習を始めたら、すごくハマってしまって。その後、2年間、月に1回は会社の同僚と大会に出続けたんです。
戦略について話したり、練習を繰り返す中で、大会の成績も向上していき「前回よりもちょっとずつうまくなってる!」という体験がプレイヤーとしてすごく楽しかったんです。
そういう体験を通して、eスポーツへの関心が高まる中で、先ほどの開発体制の変化があったり、Riot Gamesが求人を出しているのを見つけたりで、いろいろと偶然が重なったのだと思います。
──Riot Gamesの選考について、印象に残っていることはありますか。
当時のRiot Gamesは「面接の回数」がめちゃくちゃ多くて、僕のときは「8回」も面接があったんです。
当時、『VALORANT』『ワイルドリフト』の両方のeスポーツのプロデューサーのポジションでしたので、日本法人の担当者はもちろんのこと、『VALORANT』と『ワイルドリフト』のグローバルのトップなど、本当に世界中の担当者と面接をしました。
基本的には、ゲーム開発の話を中心に話しましたね。
──印象に残ってる質問は覚えていますか。
いや、ちょっとさすがにもう覚えてないですね(笑)。
ただ、質問ではないのですが、僕が「Riot Gamesに入りたい」とより強く思うようになった、面接官からの一言がありまして。
「eスポーツはマーケティングではなく、それ自体がプロダクトだ」
これって、すごく大きな違いなんです。
eスポーツをマーケティングとして捉えたら「ROI(「投資利益率」投じた費用に対してどれだけの利益が得られたかを示す指標)」を見なければいけません。
そうなると、投じた費用に対して「新規ユーザーがどれだけ増えたか」など、短期的な投資に見合うかどうかでeスポーツの企画の価値が決まってしまうことになります。
ただeスポーツをプロダクトとして考えた場合、もっと長期的に「今後、eスポーツが自走できるような、お金の回り方をどう作るか」を考えられるようになります。例えば、スポンサーさんと関係を作って、どのように相互のメリットを生み出していくのか。
当時、eスポーツをマーケティングとして捉えている会社が多かったので、大きな投資は難しく、長期的な取り組みでもないので、少しやってみて上手くいかなかったら、すぐに撤退になっていました。
僕自身も、その考えでは、魅力的な競技シーンは作れないと考えていましたので。
──「eスポーツはマーケティングでなくプロダクトだ」と言われたことが、泉さんの「クリエイティブな仕事をしたい」という意識に火をつけたのでしょうか。
そうですね。 eスポーツみたいな新しい業界というのは、長い目で考えて投資していかないと育たないので、まずはプレイヤーに喜んでもらうことです。
当時、面接を受けながら「プレイヤーファーストなゲーム会社だからこそ、できる考えかたなんだな」と感じました。
1日6時間ぐらいゲームをプレイ、選手の個人配信も見る
──eスポーツを「プロダクト」として作る上で、プロデューサーとして意識されていることは何でしょうか。
プロデューサーとして意識しているのは、収益性を重要視しつつも「プレイヤー視点で求められていること」「どういう形なら価値を提供できるのか」などの、体験価値に繋がる部分を中心にフィードバックすることです。
そういった「収益」と「体験価値」のせめぎ合いを常にやっています。両陣営の意見をぶつけることで、最終的に良いプロダクトになります。
──良いプロダクト作りのコツというのはあるのでしょうか。チームとして意識されていたことを教えてください。また2023年から、大会の構造が変わりました。この辺りがプロデューサーとしては考えることも多かったのかなと…
プロダクトは引き算で考えるようにしています。複数人でアイデアを出すと「これやりたい」「あれやりたい」といくらでも出てくるんです。
ただ、それらを取り入れようとすると、どんどんプロダクトが丸くなっていきます。
たとえば、インターナショナルリーグには「解説コーナー」があって、これは世界各国の地域ごとの戦い方の「色」を表現したいからです。Pacificリーグの選手たちの戦略・戦術の魅力を、一度、立ち止まって分析して、視聴者に理解してもらうことが、リーグの面白さに繋がります。
一方、「VALORANT Challengers Japan(以下、チャレンジャーズ)」で「解説コーナー」を設けていないのは、チャレンジャーズの1番の魅力として、ファンに届けたいのが「選手との距離感」だからです。
選手が「普段どういう努力をしていて」「どういう想いで戦っていて」「どんな私生活をしているのか」、それらを伝えて、少しでも身近に感じてもらえるようなコンテンツを優先するようにしています。
たとえば、入場特典として、選手のトレーディングカードを配布しましたが、これはランダム性のあるもので、狙った選手のカードが手に入るとは限らないのですが、この機会に、自分の好きな選手以外にも興味を持ってもらおうという狙いがありました。
このように、各プロダクトに尖ったコンセプトを設けて、ポリシーを明確にしたうえで「これは絶対にやらない」を決めています。
──「やらないこと」を決めたとしても、メンバーや利害関係者に納得のいく説明ができないと、ハレーションが起きそうですが、どうされていますか。
最初に「このプロダクトはなぜ面白いのか」を合意形成することです。
そのうえで(その面白さを)「尖らせる」と決めるので、極論、それ以外の要素は全部要らないんです。
新たなアイデアが出たとしても、「面白さ」をさらに「尖らせる」アイデアであれば検討はするのですが、全く関係のないアイデアは却下されます。
なので、勇気のいる判断というよりも、尖ったプロダクトにするために、ドライな判断をしていく
──たしかに、そこの合意形成がなく、雰囲気で進んでいくプロジェクトは多いです。
ただ、(社内の議論だけでなく)ユーザーコミュニケーションの中で「もっとこういう風にしていこう」というのが生まれることもあります。
前職のゲームプロデューサーの頃から、ずっと意識していることですが、コアなファンたちとのコミュニケーションを大切にしているので、僕自身もゲームやイベントのコアなファンのひとりになっています。
僕は、大会の配信は勿論のこと、選手の配信も見ていて、『VALORANT』は1日に3~4時間プレイしています。
2026年2月からの「eスポーツ全体を管轄する立場」になることが決まってからは『リーグ・オブ・レジェンド』『2XKO』もプレイしています。
周囲からも「いつも泉はオンラインになっている」と言われるのですが、1日大体6時間ぐらいゲームしているかもしれません。
なぜ「批判を恐れず」SNSをはじめたのか
──最後にどうしても聞きたく。SNSのアカウントを開設されましたが、これもファンやコミュニティとの接点となることが意図としてあったのでしょうか。批判や要望の集中砲火を浴びるのは目に見えていたわけであって、かなり勇気のいることだったんじゃないかなと。
おっしゃるとおりで、かなり勇気が必要でした。
──当時、eスポーツのプロデューサーがSNSアカウントを持つことは珍しく、「Riot Games Japan」の社員としては唯一だったのかなと。自分で「やります」と言ったのでしょうか。
言いました。そもそもとして、Riot Games全体のカルチャーとして、プレイヤーとのコミュニケーションは重要視してきているんです。
例えば、キャラクターデザインの担当者が「ファンから質問を受け付けるイベント」をやっていたり、ゲーム内でアップデートがある度に、開発者が「今回の変更点はここです」を言うだけでなく「こういう意図で変更しています」を説明する記事や動画(「DEV DIARY」)を出すようにしています。
そういったプレイヤーとコミュニケーションを取ろうとするカルチャーは素晴らしいと思っていたものの、僕がRiot Gamesに入社したタイミングでは「Riot Games Japan」の人は誰も顔出しでSNSをやっていませんでした。
せめて「生産者の顔がみえる~」といいますか、何か不満や要望があったとき「僕が捌け口になれないか」と考えました。
もちろん、個人が矢面に立つことは、必ずしもプラスなことばかりではないかもしれませんが、それでも「Riotの“泉”って奴に要望を伝えれば、ちょっとでもいい方向に行くんじゃないか」と思ってもらえるなら、一定のメリットはあると考えて、SNSを始めました。
──自己犠牲と言ったら大げさかもしれませんが。とはいえ、Riot Games Japanで他にもSNSをされている人がいたら、批判も分散すると思いますが、お一人ということは、フォーカスを喰らうわけですよね。それを分かって引き受けられた、一番の理由は何でしょうか。
なんなんでしょうかね(笑)。本当にRiot Gamesのゲームが好きなので、それを伝えたいという一心なのかもしれません。
5年以上『VALORANT』を毎日プレイしている中、今でも「こんなに面白いゲームはない」と思っています。開発・運営側の立場でも、3~4 年ぐらい同じタイトルを続けていると、飽きちゃうことがあるのですが、まだまだ味がするんですよね。
それぐらい「面白いゲームだ」という確信を持っているので、中の人たちがどのような想いで開発・運営をしているのか、少しでも伝えたかった。
その一心なので、何か深い意味があったわけではないですね。
──本日は、お忙しいところありがとうございました!今後のご活躍も応援しています!
取材・文:小川翔太
新着の記事
- Riot Games「APACコミュニティEsports責任者」泉航平氏【トップインタビュー】
- 「Saishunkan Sol 熊本」「広島 TEAM iXA」「名古屋NTPOJA」──地域に根ざしたゲーミングチームにインタビュー
- 東京eスポーツフェスタにおける東京都の「役割」とは何か ──東京都産業労働局 根岸様【インタビュー】
- 株式会社プレイブレーン代表取締役 マイク・シタール氏 【トップインタビュー】
- ALGS札幌はアップデートできるのか──「3年連続の札幌開催が決定」Electronic Arts Esports 総合責任者 モニカ・ディンスモア【特別インタビュー】
- まずeスポーツを知ってもらうことから──市町村「33か所」と向き合う、神奈川県福祉子どもみらい局 福祉部 高齢福祉課【インタビュー】
- なぜ10年以上「eスポーツ」に関わる望月伸彦氏と筧誠一郎氏が、いま委員会を立ち上げたのか【埼玉eスポーツ推進委員会】
- eスポーツデバイスの企業に「どんな方と一緒に働きたいか」を聞いてみた【ゲーミングバザー2025編】
- テレ東・藤平氏が挑む「eスポーツの大衆化」──鍵となるのは「ゴルフ・水泳」の演出
- 【インタビュー】しーにゃさんって何者? 海外eスポーツチームで活躍する日本人コンテンツクリエイターの仕事

